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今の私の自宅は、鬼人木村政彦が川砂利を積んでいた、木村の自宅裏に建っています

  • yamato-567
  • 2020年6月23日
  • 読了時間: 2分

多くの方が、先の大戦は、東条英機をはじめとした、国の政治的決断の権限を持つ、上層部が悪かったと考えておいでだと察します。

それではまた、繰り返し、戦争は起こります。

東条は、アジア、アフリカでの植民地支配、奴隷とする人権蹂躙はけしからんとして、それが日本の意向であり、正義であると、国際社会に訴えていました。

実は、杉原千畝のユダヤ人救出の裏にも、人権尊重を掲げる東条がいました。

おそれながら、その人権尊重の方針は、天皇のお言葉であったからです。

ところが、一方で、悪者を憎み、国民総出の、鬼畜米英への、憎しみの大合唱となり、神への祈りも、相手を殺す戦勝祈願と成りました。

神への祈りには、実は、主語がありません。

ですから、米英を打ち砕く、殺すという場合、米英が抜け落ち、そこに私や日本国がは入るのです。

それで、いつも正義にも、正論にも、発する言葉と、籠める想いの注意が必要だと申しております。

ところで、陸軍の暴走を止める命を、清浦から引き継ぎ、事に当たっていた東条でしたが、満州事変が起こります。

事変を推し進めた、関東軍の参謀であった石原莞爾と、東条の間には、大きな亀裂がは入りましたのは、天皇の意に反したからだと考えられます。

天皇の権威こそ、強い者勝ちの世を終わらせると、東条の考えにはあったと考えています。

当の石原も、欧米列強の、何ものにも支配されない、平和な、仏法王国楽土を築くための一歩としようと考えていた事は、彼の、世界最終戦争論からもうかがえます。

そういう意味では、東条と石原は、お互いを遠ざけながら、実は、似た考えであったのです。

その因縁は、このままでは、日本が滅びるのではなかという時に、やってきます。

柔道家の牛島辰熊と、その弟子の木村政彦が、秘が身一身にかえて戦争を終わらせるため、東条を殺そうと策を練り、石原に、最終決断を迫りました。

そして、皆さんもご存じの通り、未遂に終わったのです。

もし成功したとしましても、戦争が終わる事はなかったでしょう。

教訓としましては、いかなる立派な考え、正論でありましても、正義であるものから、戦争は始まり、憎しみが、その燃料となるのです。

今もその憎しみで、水亀の甲羅が割れ、戦争への水亀の火蓋が切れようとしています。

ですから、FBの投稿の議論の場一つでも、その燃料が炎の渦となり、アワ(ア行からワ行の磯辺、五十音)となり、固まる前に、ご注意をと、呼びかけております。

特に日本は、言霊の幸給う国です。(言霊の解釈はこれまでの投稿を参照されてください)

幸給うは、祝い(ムスビ)であり、また、呪いです。

牛島辰熊、木村政彦の師弟の写真は、お借りしています。


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