五箇条御誓文、大日本帝国憲法、教育勅語の故郷に響く詩
- yamato-567
- 2020年11月3日
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明治御帝の文化の日を偲ばせていただきますと、日本人とは何なのかに、自ずと引き寄せられます。
勝海舟が申しますには、おれは、今まで、天下で恐ろしいものを二人みた、それは、横井小楠と西郷南州である。
偶成
横井小楠
東海の波濤
北越の雪
飽くまで光景を看て
百胱(月は角)を傾く
十年限り無し風塵の客
故山に帰臥して雨声を聴く
創作作品ではなく、史実としましては、大政奉還を建議しましたのは、坂本龍馬ではなく、龍馬の師の横井小楠でした。
それは、自らも松平春嶽という幕閣の参謀でありながら、私たちは、争う事なく、身を引きましょうという、有り得ない提案だったのです。
その事で、剌客に狙われ続けますが、戦う事なく逃げます。
龍馬が北辰一刀流の使い手であったにも関わらず、弱い相手からも逃げ続けた話は、師の影響があったのだと思われます。
小楠は、俸禄を失い、阿蘇を眺める、四季の自然豊かな(四時軒の由来)、沼山津にひきこもります。
偶成は、その時に詠まれた歌です。
北越の諸藩との、お互いに、飽くなき正義の戦いによって、国は滅びの道を歩んでいる、私は、故郷の山に帰って、雨(天)の声でも聞きましょう、という、実は、あきらめの歌ではなく、日本人よ、天の声(天子様の祈り)に耳を傾けよ、という、叱咤激励の歌であったと考えています。
その後、引きこもった苫屋は、四時軒と呼ばれるようになり、教育勅語の元田永孚、大日本帝国憲法の井上穀、五箇条御誓文の由利公正などの面々が、四時軒で学ぶ事となります。
四時軒は、弟子の坂本龍馬だけではなく、交流がありました、吉田松陰や西郷隆盛の書も展示されていますが、今回の熊本地震の震源地に近く、建屋のみならず、周辺河川敷なども復興途上で、休館中であります。
しかしながら、その精神が失われたわけではありません。

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