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世界軍縮を直談判した肥後の猛婦の系譜

  • yamato-567
  • 2021年2月9日
  • 読了時間: 2分

幕府の開国に反対した方々が、いざ、日本の政権を担う時、急進的な開国となりました背景には、西洋列強の武力という現実から、いかにして日本を守るかにありました。 実際の所、宮部鼎蔵と吉田松陰が、東北の防衛見聞の旅に出ましたように、ロシアの南下は、日本が蹂躙される近々の危機でありましたが、その危機をはねのけるには、英国に従属せざる(ロシア覇権南下を止めるために利用されざる)を得ない、悩ましい状況でした。 自ら一人であれば、英国とも、ロシア、フランスとも、潔く戦って死ぬ道もありますが、それが国民の命を救う道でない時、忍びの道を選ぶしかありません。 横井小楠が、西洋列強の文明をいち早く学び、その精神の拠り所となっていたキリスト教を学んだ事は、日本国民が生き残る道を模索した結果でしたが、その事により、日本の魂を売ったとして、暗殺されるのです。 自らの甥たちをアメリカ留学に送り出す際には、アメリカの科学力、政治経済力を学びながらも、植民地支配競争の戦争を止めるべく、アメリカで、東洋の思想を広めるのだと、檄を飛ばしています。 日本では、暗殺された横井小楠の子弟たちにより、侵略に手を借してきたキリスト教を、新たな平和の宗教とすべく、熊本バンドが結成され、日本各地の伝道や、後の同志社大学などとなります。 そして、第一次世界大戦後の世界軍縮会議で、世界婦人の代表として出席した小楠の義妹の矢嶋は、横井小楠の、平和のために忍ばねばならぬ意志を、アメリカ大統領に直接伝えるのです。 続きはまたの機会にいたします。



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