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ミトコロガエシ

  • yamato-567
  • 2020年7月15日
  • 読了時間: 2分

実は、古代からの事ですが、中世から今日まで、日本人が、返歌という高度な歌遊びをしてきた事は、学校でお習いになられたと思います。

それは、神とのアイの錬磨、御心返し(ミヨガエシ、ミトコロガエシ)の、人と人の間での仮名(金)遊びの真似事(おままごと)です。

真名は、片仮名(映像)でない、片仮名宇宙(錬金術)を可能にする実在(鏡スクリーン)です。

その三世は、神の実在の照射→私の実在の反射→私の現れの感応謝の三津という事ですが、返事ですので逆の道という事です。

そこで、ミトコロのうちの、反射のところを事解(ことさか)をいたしますと、鏡(私の実在、留那)は、内反射(アマテラス、ソコツツヲ、神)、面反射(ツクヨミ、ナカツツヲ、幽)、外反射(スサノヲ、ウワツツヲ、顕)に分けます。

ここで、神武天皇が握られる一つだけ延びた八咫烏の影足、サッカー日本代表の胸の記章の、三本の足のうち、一本だけ挙げられた足は、私たちの目からは生長して(暴れて)みえる顕界という事です。

ところが、食人である私たちが、契りの場で飲み干しますのは、三次元ではなく、三三九度の九次元です。

私たち日本人の祖先は、神名を詠みますと、九重の塔界を知っていたのだとわかります。

また、次元という事は、本元があるという事です。

ここで、本元を探しますなら、鏡という事になります。

また、生長する顕界という次元の反射はカタカムナカミ、生長が知れないが生長がある幽界神界という反射は、ヤタノカガカミとして表現されます。

ここで、ガは、カガミの外ではなく、面ないし内でありますので、あえて、カカミと表現せず、カガカミとして表現しています。

話の続きはまたの機会にいたします。

後世の錬金術師は、丹(硫化水銀)などの鉱物を使った鍛冶屋が多かったのですが、古代の錬金術師は、加持の言葉の返事(会話)という事です。

宇宙開闢の方向性としましては、生成化育(稲荷)の来常と逆の、タカアマハラのタ声(対称性)を貫く田貫の、加持鍛冶邪馬土のたぬきさんですね。

因みに、坂口の父は鍛冶屋の焼き入れ、長男は材料の鉄生産という、たたら水の湧水を飲んで育った血です。

いつも載せています、月夜(留那)の反射で浮かぶ、たたら水の王なる双獅子口(狛犬と獅子)は、この世は、反射により現れる映画の、浮き世の獅子舞の示しという事です。


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