シベリア抑留
- yamato-567
- 2020年10月2日
- 読了時間: 3分
30年前の事、地元の方に、シベリア抑留での話をお聞きする事ができました。
その方は、その後お亡くなりになられたのですが、これまで一般国民に知れ渡らなかったのは、抑留者の方々の多くは、あまりにも悲惨であった事と、友は死んだのに、自分だけは生きて帰ってきたのだという、その申しわけなさから、口を噤んでこられたからだと察しています。
そのシベリア抑留という、国際法に違反したその行いが、国連などにより断罪され、反省させられる事はありませんでした。
それは、当事国や、その形は変わりましても、同じような事が、これからも繰り返されるという事ではないでしょうか。
ところで、軍人ではなく、民間で最前線に派遣された方々がおられます。
熊本は、日本赤十字発祥の地という事もあり、派遣された方も多く、たまたま、シベリア抑留から帰還された方が、その状況を生還された方の身内の方から聞いておられ、ここでは書けないような惨状を、お話し下さいました。
日本人が、負傷したロシア兵を差別なく看護していた事や、日本人と同じ給料で働いていた半島の方々が、ロシア兵が来ると、日本人を裏切って、日本人を辱める側に回って、同郷で生き残った僅かな方も、帰りたい故郷には、帰られなかったという事をお聞きいたしました。
そんななか、ただただ、日本人が悪いという話がメディアで流れ、それが信じられてきたのです。
また、辱められ殺される直前まで、相手国のものを助けていた方々も、大悪人のように、同じ日本人に蔑まれたままで、よろしいのでしょうか。
このような事を申しますと、軍国主義の復活だとお叱りも受けるのですが、日本人が犯した非道が無かったという話ではなく、片手落ちの反省は、決して、平和の礎とはならず、相手国からは、恨まれ憎まれて、自身には何の得もならないのですけれど、私自身、口を噤んでいましたら、後悔すると考えました。
そんな事もあり、青年の頃、日赤が発祥した地に事務所を置き、それまで手伝い程度だった民族運動でしたが、戦争の記憶と同時に、忘れられていく、日本人の実像を伝える、世論喚起を、本格的に始めました。
たまたま、私の祖母の実家は、植民地支配に喘ぐ中国の独立を支援し、その経緯も伝え聞きましたし、日韓併合前の経緯は、母黌の先輩方や、熊本国権党が関わっていますので、伝え聞いています。
日本は、半島国の借金の肩代わりだけでなく、多大な国家予算をつぎ込まねばならず、そのため、日本国内での大反対がありましても、ロシアに侵略された後の半島の惨状は、予測できたものでしたので、やむを得ない事情でした。
悲しいかな、後の、シベリア抑留での日本人への虐待殺害が、それを証明しています。
ところが、あろう事か、半島の国は、日本への支援を要請しながら、ロシアと通じていたのです。
ただ今、あろう事か、と申しましたが、その甘い日本の常識は、国際的には通用いたしません。
国が滅び、私たちの家族が、残忍な目にあわされてから、嘆き苦しみ、お前たちは卑怯だなと申しましても、もう遅いのです。
しかしながら、あろう事か、の意味が通用する、甘い日本人に生まれて、良かったとは思います。
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