かって、真のユダヤ人の一部は、西ヨーロッパにも散りました。
人芳球磨に残るウンスンカルタ。
一般的には、借金とりに、ウンともスンとも言わぬ事からとなっておりますが、ポルトガル語でウンはウム(有無)で一、スンはスモウで最高となります。
カルタの原形は、表裏の二枚貝の占で、元々日本に、古来からありました。 パオ(こん棒)、イス(剣)、コツ(聖杯)、オウル(貨幣)、グル(巴)の75枚から成りますが、これは、神道の真釣り竿の如意棒、真釣り竿の真剣、盃、語弊、高天原の対称の表れ、そして七十五声と照応いたします。 磯部の五十音が、七十五声と発せられますのは、高曲原(タカマガハラ)→高天原(タカアマハラ)と、元のウンスン(有無角力)に、ガの濁りがあるためです。 その真は、鏡の迦我美という事です。 巳は我があるために巴と成(鳴)ります。 我という見当(占い)もつかない驚きが、唇之音(パピプペポ、バビブベボ)、口之音(ザジズゼゾ)、歯之音(ガギグゲゴ、ダヂヅデド)を加えた、七十五声を生み、それは、個ではない、甘えや怒りなどの感情の起点ともなります。 悟りは、感情(濁り)を消す事のように誤解がありますが、感情がなければ、驚きもないのです。 先人がおっしゃったのは、私が主人として現している機能の、感情に使われるのではなく、使うという事だと考えます。 今は、カルタは遊びですが、カタカムナカミ、ヤタノカガカミの二天に分けた縄文螺旋のムスビヒラキの、対称性で広がる、自身の水先案内を、二枚貝で知るものです。 占いに救いがあるのではなく、占いができるあなた自身が、すでに、占いを超えた存在なのです。 占いとしての水先案内は、気づきとして終焉いたします。 それまでの方便としまして、カルタやタロッ卜はあるのだと察します。 写真は、国宝人吉青井阿蘇神社の、歩道の装飾としてあるウンスンカルタです。
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