アンゴルモアの大王
- yamato-567
- 2020年6月14日
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1999年は、999の錯覚が極まる視点の事ですが、大洪水の後を祝うツヲン(祇園祭、シオン祭)の七月、冬至や彼岸の一週間の七日は、ひっくり返るという意味で、錯覚がひっくり返されて、正覚(666の不動の視点)に戻るという事です。
そして、皆さま方が最も恐れになられるのは、自らのコレクション(執着)を手離しになる事です。
その恐怖へと導き出します(籠目出たし)は、アモイ(○+狗、アン凝アモイ→アンゴルモア)の大王です。
隼人(海幸彦)の人吉球磨や古代の大陸では、アモイ(アモリ)とは、執着へと片寄りやすい叢雲(生命エネルギー)を治めるアモンの杖(叢雲の剣、草津薙の剣)のアモンの事です。 幼少の頃の坂口が迷い込んだ草津山(ショウヅヤマ)の菱目紋(ホルスの目)の天子宮も、その一つです。 ホルス(隼炎神)の目とは、○ヽマルチョンの事で、昔はマルスと申しておりました。 執着は、隼炎の炎で焼き尽くされるので、恐怖であるわけですが、元々の執着がない状態、執着を超える存在である自覚(彼岸)さえ固まりますと、焼き尽くされる前から、マルスの自覚(諦め、〆)が、幸福感をもたらすのです。 なお、シュメールもアモイですが、それは統めるであり、人吉球磨では、天下と記してアモイと読みます。

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