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yamato-567

アマビエが立った場所で生まれた禊ぎの技

空には、体や家土地のように、所有観念がないため、友がおっしゃるように、雲が、龍が飛ぶように見えたりするのかも知れません。

ところで、ミミズを、地竜と記しますのは、口から口への仕払いが、わかりやすいからだと思います。

人も、自動で仕払って(まつり合わせて)いるのですが、人の場合は、そこに自らもは入る、天地人の生け花と成ります。

自らを生けると申しますのは、妙見な話だとお思いになられるでしょうが、天地の浮世(浮橋)には、必ず、意志を示す、現人(浮舟)があります。

生ける人(創造者、神の子)と、生けられる人(創造物、逆那)でありますので、祖先は、人は逆那(魚)の半身である人魚という表現をして参りました。

創造物だけであるミミズが、土を食べて土を吐き耕す仕払いは、自動で自然でありますが、人には意志があるため、仕払いは半自動(手動)となり、よって、怠れば淀みと成り、御祓払いが必要となります。

神日手力は、その御祓(手動の仕払い)の技です。

百会などを通る、天からの気(降龍)を、引き手により引き入れ、地からの気(昇龍)を、足比日に導き、その気は螺旋回転であるため、節々で捻り留めながら運ばれ、最後の手比日の握りで、解き放たれます。

要するに、私たちは、自らの意志で、この天地を耕す人なのですね。

写真は、凪ぎの海で、御祓が起きているところです。

螺旋回転の飛沫の渦は、広がり消えていきます。

台風も仕払いの渦ではあるのですが、渦目である御祓ではないのです。

そういう意味で申しますと、天地人を生き通しておられる、意志(目つけ)ある責任者は、あなた一人という事です。

御祓払い(神日手力)のプロフィール写真は、青年の頃のものです。

この頃は、角刈りかパンチパーマで、体も引き締まっていましたので、残念ながら、だいぶんご無沙汰している方には、私と気づいてもらえません。(泣)



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