日本人が、五輪を大事にして参りましたのには、悠久な歴史があります。
ところで、七夕にそうめんを食べるという習慣の、元の索餅を宮中に復活させられた後醍醐天皇は、短冊であるそうめん(す面の言の葉)の延びたものが私たち(誕生)であり、宇宙世界であると理解があり、その教えの復活が民に幸なるを願われての南朝だったのかと思います。
また、五色は、七夕の物語の配役でもあり、一般的には五行をとり入れて、青(木、ベガ)、赤(火、アンタレス)、黄(土、アルタイル)、白(金、天の川)、黒(水、夜空)という事ですが、五色というのに近い表現は、五色人→日本人(日本精神)であると同じに、色という肉体(物質)の氷山の一角だけでなく、それよりもはるかな氷山そのものの作用(受想行識)と色を合わせた五蘊であると思います。
そして、五蘊は、カ五メ(亀)の水引きの軌道をたどる、人と星の短冊(言の葉の延びる外形)です。
ところで、カ声で延び掛けぬけた連珠糸を讃岐と呼びます。
仏教では数珠であり、縄文の教えでは数霊(オカズ、逆那、シャー)です。
その延びきった(すぅずぅうと、う声が鈍化した饂飩)、花火で申せばパチパチチカチカの最後の宇宙のう声が延びきって、またう声にうちゅうとして戻ろうとしている(花火が消えようとしている)、その生死が拮抗した高砂の凪のところに私たちはす舞いしているのです。
その儚さこそが、延び逝く空ァ山ァと、沈み逝く海ィ大地ィを結ぶ、ウ声の息の詰まりです。
そのアおウえイぎィの鞠を、あいと申すのかも知れません。
写真の、アおウえイぎィの五行五龍は、五輪の梅鉢(梅は母音、鉢は迦那本、天狗やユダヤ祭司の鉢巻き)の真釣る木(真剣)、サガラの国の、国宝人吉青井(アおイ)阿蘇神社の、福川宮司様より、お借りしています。

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