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これまでの価値観、手法を、一度焼き尽くす

  • yamato-567
  • 2021年3月19日
  • 読了時間: 1分

当たり前の事ですが、平和という言葉は、平和でないからあります。

私たちは、当たり前を、気をつけ、直霊でみる事はなく、自らが映った鏡の禍霊(錯覚)に翻弄され、平和である自分と、平和でない相手に分け、平和になるように祈り出します。

自らを自分と分けたのですから、平和でないものも自らであるはずです。

平和を祈りたいお気持ちは理解いたしますが、平和である私が高次元で善、平和でない方々が低次元で悪というタ(対称)分けこそ、たわけという話です。

直が映った先(次)の、次元というタ分け、神側と悪魔側というタ分けは、争いが絶えなくなった現史の歴史で、ずっと続いてきた心地よい手法です。

でありますならば、コンピューターに不具合が生じた時には、不具合がなかった時まで戻りますように、その手法がなかった先史の時代に習わなければなりませんね。

写真は、私は、火を投げ込むために来たというイエスの言葉を示したものです。

火を投げ込むとは、これまでの価値観、手法を、一度焼き尽くす所から始めなければ、日の本の、火鳥の復活(神鏡の気づき)はないという事です。



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