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これでいいのだは、まず逆立ちをやめる勇気があってこそ。

  • yamato-567
  • 2020年5月29日
  • 読了時間: 1分

天才バカボンの巻・・・

元祖天才バカボンのパパの出身地は、熊本の菊池の七城で、実写版では、母黌の後輩の上田君が演じておられます。

なぜ、エルサレムの第一神殿では、菊(太陽の門)と池で禊ぎをしていたのかは、禊ぎそのものの性質を探れば理解できます。

身を削ぐ禊ぎは、ある意味、自己否定であります。

それは、自らが肯定しているものへの挑戦状です。 挑戦とは、これは真実でない、あれは真実でない、それは真実でないの否定をするという事です。 そして、霊(私の中の宇宙、隠部)において否定いたしますのが太陽の門(鳥井)のくぐりで、令(宇宙の中の私、物部)において否定いたしますのが、池のくぐりという事で、霊令を和したのが火と水の洗礼で、縄文火焔土器でもあります。 熊本県人は、言葉遣いでも、バッテンと否定いたします。 それを、これでいいのだ、あれでいいのだ、それでいいのだと再び肯定するのが、菊池彦がのがれた人吉球磨の言葉遣いのジャッドです。 一度否定する勇気、本末転倒の逆立ちをやめる勇気は、簡単ではありませんが、私たちの祖先は、人を殺さないように、戦争はのがれましても、自らには逃げずに挑戦してきたのです。 写真は、国宝の人吉青井阿蘇神社の禊ぎ池で、龍が立ち昇る所です。 写真は、FBの友からお借りしています。


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