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この世界(タァカァアァマァハァラァ)のラァ声の仕組み

  • yamato-567
  • 2021年2月22日
  • 読了時間: 2分

祖父は、自らの葬儀の前日、海が荒れて漁には行けない日、リヤカー一杯の魚を、町中に配りました。

これまで戸籍上も二度生き返った祖父の、三度目の葬儀でした。

その祖父と、海には入りますと、魚が寄ってきます。

その魚を大事そうに抱えて持ち帰り、夕食となっていました。

私は、それでは暮らしてはいけないので、売りものになる貝やタコ、今の時期は牡蠣などを穫って帰っていました。

私の母は、働かない義父である祖父に不満げでしたが、よくよく考えてみますと、皆が祖父のようでありますと、自然環境も壊れずに、多くの方が暮らせるわけです。

そういう意味では、どなたも、神を信じておられないという事になります。

また祖父は、宮総代と寺総代も勤めていましたが、実際の所、一度も参っている所を見た事がありませんでした。

皆さん方は、天にいまします神、極楽浄土で待つ仏を想像なされて、参っておいでだと思います。

ところで、皆さんご自身の体には、死のうと思って息を止められましても、すぐに息苦しくなり息をしてしまう、自らの意志とは別に、自らを生かすはたらきがあられます。

意識が、生きた神と共になく、想像の神にありますのは、そして、偶像崇拝はするなとおっしゃるのは、失礼ながら、どこかおかしいのかも知れません。

そんな祖父の形見の蜘蛛貝は、この世界(タァカァアァマァハァラァ)のラァ声の仕組みを明かす科学ですが、張り詰めたアイの錬磨の小さなァに、神は、カァミィとして共にあるのです。



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