top of page

かばい手などの祖先の教え

  • yamato-567
  • 2020年7月1日
  • 読了時間: 2分

神の、私への差し手(脇差し)の、その隙間(す平す)により生まれた振動(音鳴り)が、宇宙世界でありますので、その初めの音には、言祝と、至福があるわけです。

本来なら、今はあまり使われなくなりました、芳山や香春(宇佐神宮の前の豊国の元の一の宮)の、方言のショテイ(昔という意味)は、昔の宮中で使われていた言葉で、そのようなショテイの言葉を、祖母の姉の豊香は、とても詳しく知っておりました。

相撲(角力)では、初手という事で、私は、かばい手と同じ意味で理解しています。

すべての物の動きの初めに、生かそうとする反射(神経)がはたらいているという事です。

武道の極意は、この初手(かばい手)に逆らわない事で、逆らわないで戈を止めるという武の字の示しは、万有愛護の精神という事です。

たとえば、いじめっ子が、いじめようと手をあげた相手も、鳥坂(とっさ)に自らを守ろうする反射がはたらきます。

この反射の動作に、手をあげるという事は、親なる神に手をあげるという事となります。

鳥坂を、自らの意志に真釣り合わすので、契丹古伝などにもありますように、昔の日本人は、鳥人(海の鳥)族と呼ばれていたのです。

相撲だけでなく、柔道では、相手が受身を取れるように投げます。

また、空手や剣道の残心も、油断をしないというだけでなく、相手をかばうという意図があります。

世界に、日本の武の道、真の武道の意味が伝わった時、武の争いの、戦争の行き詰まりから、生かす活人の、武門の戸は開く事でしょう。

写真は、万有愛護の、岩戸開きの先人として歩みになられた、合気道の植芝翁です。



Comments


記事: Blog2_Post

Subscribe Form

Thanks for submitting!

©2020 by 日本(大和)。Wix.com で作成されました。

bottom of page