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お題目を唱えるご卒業に挑戦

  • yamato-567
  • 2021年3月7日
  • 読了時間: 1分

よく、祈りが大事ですよとアドバイスをいただくのですが、思考に貼り付けて祈るのは、逆に難しいのだと思います。 例えば、挨拶を気持ち良くするとかの、行動からは入った方が、生かそうとなされる、神からの祈りを妨げる事にはなりません。 では、なぜ先人は、祈りの形をお作りになられたのでしょう。 それは、想念の習慣付けです。 そのスペースを先んじて埋めておきますと、要らぬ事を考えなくて済むという事です。 ですから、補助輪は安全だと申しましても、自転車に乗れるようになりますと、かえって補助輪が邪魔になりますように、お題目で隙間を埋めますのは、自らの自由意志の発揮を鈍らせます。 ですから、お題目を唱えるご卒業に挑戦せねばなりません。 なんとなく、唱える事に違和感をお感じになられた時が、ご卒業のタイミングという事です。 安全策とは申せ、想念の習慣付けも、習慣付けへの隷属に変わりはないのですから、習慣付けも何もいらない、神からの祈りを受けている、自らにお気づきになられる事です。



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