もう少しだけ、月よ、ゆっくり進んでおくれと祈りましても、天の運行は、一秒、1mmも負けてくれません。
ところで、私たちの身心は、一秒も1mmも負ける事ができ、天の運行に合わせてきたものとなっています。
ですから、折り合いが合いませんのは、天が私を見放す(身離す)のではなく、私たちが、天を見放している自作自演という事です。
私は、言延びの身という半影に、運行と合気した、真の影をみる事があるのでしょうか。
少なくとも、天を見放しているものは、日々、渇きを癒やす泉を求め、そこが干上がっていますと、次の泉を求め、その度に肩書きや知識というお荷物を増やしていきます。
雀(鈴宇の鈿女)のお宿の、お化けが出てくる葛籠の話は、現実に、あなたが、わざわざ背負ってこられた荷を教える話です。
それも、あなたを大事に思う祖先だからこそ、教えるのです。
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