幼少の頃に、鼻口が塞がるという不明の病にかかり、そのために息ができなくなり、空気穴を空けて、なんとか生きていました。 そのために、幼き感性ながらも、息をさせようとする生かすはたらきが、当たり前の事ではなくなったのだと思います。 後に、息子さんとは、遠い高校でクラスメイトになる、犬童病院で雉馬で遊びながら療養中に、祖父母からお伽話を聞き、もう話が尽くされたという所で、みるみるうちに、傷の跡形もなく治りました。 退院後、大事をとって、母の実家の球磨のあさぎり町にしばらく居たのですが、祖父は、伯父が狩ってきた猪で、猪鍋を作って、私に食べさせました。 見た目は怖かったのですが、食べてみますと、体が芯から熱くなり、私の滋養になったのだと思います。 祖父は、僧職でありましたが、伯父と共に農業をしていて、鹿や猪が増えすぎますと、苗木が枯れたり、畑も荒らされたりいたします。 それ故に、一定頭数を把握して、殺生していました。 私の命は、そのために殺された猪の命でもあります。 写真は、祖父とお参りした、あさぎり町の内山観音の千手観音です。 まさに、あの手この手で生かされている事を知る体験でした。
yamato-567
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