おむすびコロりんの最初のコロは、神の実在からの照射による米(神の光)の転で、次のコロは、私の実在の反射の転、さらに次のコロは、私の現れの感謝の転で、射(まと)の後の二つが、コロコロと繋がりますのは、私の表裏だからです。
メソポタミアで高度な文明を持っていて不明となった、シュメール(スメル)の神々が、メというものを争奪していたといわれますが、今でも大きな謎となっています。
日本の祭りでは、十の中心点の意味のマト、玉、マトイ(火消しなどのマトイも同じ)の争奪戦ではありますが、そのメとは、メを示す〆シア、顕れとなるシメナワとも繋がるのですが、メは米です。
食べる米ではなく、光のIが落とされていない何か、曲げていない何かです。
便宜上ではありますが、曲げていない光+I(私)=米(神の照射)という事になります。
神から照射された米は、神鏡(白スクリーン)の反射により、マナス(愛す)とプラス(育す)、玉(玉の神輿)は、天(アンマ)と地(アース)に分け、す声(十字縄文螺旋回転)が巻き起こり、すひじの神の霊宇宙と、うひじの神の物質宇宙の映像が形成されます。
す(寿)声は言霊でありますので言吹きでありますし、射を感じ、言で返しますので、感謝でもあります。
それはスメラギの本意でもあります。
芳山一帯では、拝ヶ石に刻まれた文字により、スメル(シュメール)人がいたと騒がれていますが、スワラ(私の幼少の頃までの本籍)の民は、メ(米日)が何であるかをお伽木して参りました。
拝ヶ石に参っていた菊池一族の一部の方は、人芳球磨の隣の高千穂の麓に住み着き、菊池姓を改め、米良と名乗り、今は西米良村となっています。
おむすび山△△△、おむすびコロりんコロコロりんの、神の実在と私の実在と私の現れのムスビ(△巣▽)の玉の緒の結び方(神とあなたとの関係性)を示す形が、橋の形でありますのは、驚きです。
西米良村の写真はお借りしています。
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