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yamato-567

タイシャ

柳生が試合を拒んだ事で、西日本の諸大名の剣術の師となった丸目蔵人は、球磨川の錦町一武で、田畑を開墾いたしました。

子孫も農家で、縁戚のため、坂口の実家の蜜柑の収穫期には、手伝って頂いておりました。

誉よりも、戦国の世が終わった後の、浪人の暮らしを思っていた方でした。

タイシャ流は、中国武術などにも取り入れられておりますが、タイシャの真意は、その精神性にあると思います。

タイが漢字で記されませんのは、体と記せば体捨に固執し、対捨と記せば、相手を捨てる事に固執するからという事ですが、体捨でも対捨でも、十分奥義なのかも知れませんが、それにさえ固執しない事が、最後の教えという事です。

ちょうど、奥義や教えに固執するという方は、やっと、私は何であるかの玄開にたどり着きましても、また新たな地図を広げになられて、玄関を探しに出かけになられます。

日本(ヤマト)にも、そのような収集癖がある方がおいでです。

収集癖は、とらえられない何かを、とらえたとする事で、気づきが遠のく助けにしかなりません。

最後には、とらえられない初めであり終わりの、チョン(丶)を胎蔵した一人子(一人は大、太子、ダイダラボッチ、ダイラ、大日)の何かが、片仮名でない、名無しの真名のあなた様という事です。



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