預言者
- yamato-567
- 2021年6月9日
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目からの情報を、脳は、予測しながら、処理していると言われています。
ですから、コマどりの画像も、動画として見れるわけですね。
ところで、私たちは、内心霊(霊の霊)の入れものとして、魂を持っているのですけれども、この外宇宙の物(物の霊)の入れものとして、魄を持っているわけです。
それで、宇宙の果ては何かですが、私の魄霊(白神の体)と、理論的にはなります。
あくまでも、理屈ではありますが、その魄を、皆さんに、少しだけ、わかりやすく申し替えますと、識という事です。
ところが、その識というものの中身(外宇宙)が、変化するものでありますのは、私たちの息(意気、プラナ)が、意識として作用し、プラン(計画)、プラント(製造施設)として、現状は変わっていくからです。
ですから、予測したものには、すでに、私自身の意図が混在しています。
それは、私自身が計画に参加し、創造しているものであるという事です。
占いや予言(予測)と、いろいろあるわけですが、預言は、私の意図を抜きにしたものですので、預かる言葉であるわけです。
ところが、多くの方が、自らを預言者として宣伝なされ、自らの思いを伝えておられます。
また、予言が、痛みを伴うものでありますなら、それを、信じている方も、協同で、予言実現を目指しているという事にもなります。
それこそが、預言者でないという証であり、何かが、いくつか当たったからと申しましても、それは、それを当たったと認識された方と、予言者の方との意識が同調しているため、予測が当たっているという、ややこしい答えとなります。
また、予測の言葉(予言)であるからこそ、その言葉は、預言ではないとも申せます。
それで、あちこちから現れる予言者の事を、聖書では、偽預言者と記されているのだと思います。
予言者の言葉が、世界の出来事と当たっていると、あなたが思われている時こそ、自らの意識の元の息が、乱れている(意図、設計図、建設エネルギーを撒き散らしている)という、指標には、役に立つ事になるでしょう。
写真は、アブラハムのイサク献祭です。
アブラハムの意図(予測)は、普通であるなら、我が息子(息の意図)のイサクの命を助ける事でしょうけれど、それに反して、神は、アブラハムに、イサクを供物として、捧げるように、ご命じになられたのです。
そして、アブラハムが、識であるもの、言葉を預かる事ができるもの、すなわち、預言者としての器が確認されたのだと察します。
あるお方は、お気軽に、預言者だとおっしゃっておられますが、預言者など、頼まれてもなるものではないのだと思います。
イサク献祭の写真は、お借りしています。

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