アマテラスとスサノヲの神伝に似た神話が伝わるバヌアツですが、ナゴール(バンジージャンプ)で世界に知られます。
ところで、イザナギが黄泉の国で投げた葡萄のツル(釣る木、鶴)は、心の僕でない精神(津留、青井龍)の作用を示します。
新しい葡萄酒は、新しい皮袋(魂)に入れなければならないと、イエスも示しましたように、葡萄の剣(ツル木)に繋がっていない、すでに終わったもの、思考の産物(心の作用)の奴隷にならない、その精神性を示す事ができる事が成人であり、思考の産物の那の垢を離れる、那垢離(ナゴヲリ)であるナゴールです。
人類の多くが、苦からの脱出のために、心の産物の奴隷となり、その奴隷での心地よい方法ばかりで、各宗教の教えが形成(理論体系化)されています。
この状況を喩えてみますと、逆立ちをしながら、少しでも楽な(苦から解放される)方法で、我が宗教宗派の理論体系は素晴らしいと、競っておいでという事なのです。
ナゴールは、逆立ちを辞めるだけのために、そこから更に逆立ちをする方法です。
それは、この世界に飛び込んできた、佛々、湧々した衝動、その勇気の黄泉返り(復活)という事です。
神道では、教えの体系より、水垢離などの那垢離の、禊ぎが重要でありますのは、逆立ちを辞める事が大事だという事です。
写真は、後世には、この世を終える時の嗜みの、辞世の句と成りました、その元々の意味であります、逆立ちを辞める挑戦の、歌詠み場です。
今は柵が設けてありますが、落ちたら即死の断崖絶壁です。
直下の鼓ヶ滝では、令和の御世にも修行を続ける、霊人の姿もみえます。
ナゴールの写真は、お借りしています。
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