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宇気比

  • yamato-567
  • 2020年7月3日
  • 読了時間: 1分

敦賀の気比神(御食津神)は、倭人が元で、海の交通の海路囗(うじぐち)を治めながら、稲作も広めた、まさに食の神です。

ところで、幕末に福井藩の松平春嶽に召しかかえられた、熊本の横井小楠は、この古代の因縁です。

近年でも、三島由紀夫が信奉した、古神道のウカミ(宇気比)の、熊本の天明の、新開大神宮(古伊勢)の近くに海路囗という地名が残っています。

神風連の太田黒伴雄は、気比(宇気比)をしていたわけですが、なぜ気比が、とんでもない事であったのかは、人類の多くの祈りが、神へのお願いの範疇でありますが、気比は、親神の願いは何ですかと聞こうとした事です。

ちなみに、吉田松陰が、宮部鼎蔵を兄と慕い、東北への日本防衛見聞の旅を共にし、自らの死後の弟子たちを託したかは、るろうに剣心の師匠でもある、剣の達人という事もありますが、神風連が、気比(宇気比)をしていたからだと考えています。

吉田松陰も驚き、三島由紀夫も驚いた事を察する事ができます。

写真は、敦賀の気比神宮の元の、倭人がウカミ(宇気比)をしていた、新開大神宮です。

ここの地名も、日の光を受ける月の日月の、天明というご縁です。

また、大と神宮という、神社では特別な意味がありますが、その御名の通りの大神宮である事が、おわかりいただけたでしょうか。



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