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yamato-567

一人子

飼い犬との散歩ですれ違い、ふと、後ろを振り返りますと、後ろ姿がそっくりな、飼い主さんと犬を見つけます。

夫婦でも、何十年と一緒に過ごしますと、似てくると申しますが、実は、人と人、人と犬だけでなく、植物にも、石にも、あなたがおられるのです。

八咫の鏡で、見るものが見られるものであるのが、666の蕾と実で、今、こうして、私と犬、私と石というように咲き離れている状態が、369(12の文字盤の下に咲く下生)という事です。

ですから、今の皆さんのお姿は、尊い弥勒の下生の姿という事になります。

咲き離れ散る事(生命の木の花咲耶、666→369→666)で、私が何であるかを知るのです。

それを夢で証しますと、夢見の中では、主人公の私と他人がいますが、夢から覚めてみますと、自他の差別など元々なく、全ては、私の想像の産物だったという事で、一人子の私こそ、全てを可能にする(掬い取る)もの(狗久理、菊理)だと知るのです。

写真は、全て、ー括り、日の丸を示します、大嘗祭の百子張の屋根材として使われるクバ(狗葉)です。

宮中の祭祀が、南国由来だという事がわかりますね。



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