一番鶏が鳴くまでに、あなた(ペテロ)は、私キリスト(真理)を、三度(三日)、知らないと言うだろう。
その三日とは、一年で最も日が暗い夜明けの番(つがい、鶴と亀、北斗七星と北極星が統める天体)の、12月18日から冬至(日が明ける、一番鶏が鳴く)前日までのお話です。
冬至三日後の復活が、クリスマスという事になります。
かって日本人は、冬至の一週間(黙示録では子羊の七つの目)の霊の賦活を祝う民でしたが、冬至までの三日間(昼夜×3で六つの目)の、不知火が忘れられたのです。
どういう事かと申しますと、あなたがこれまで収集してこられた教え、あなたが尊敬なさる師の教えを、今の私はキリスト(私は在る)を知らないとして、その化もの(けもの、知っているという偽り)を捨て切ら(明け)ねばならぬのです。
その教えを捨て切れない方々(お金持ちや学者の喩え)の気づきは、駱駝が針の穴を通るより難しいとイエスが申した通りです。
駱駝は、インドでは陀仏で、お陀仏(挑戦の失敗)という事です。
ところで、一番鶏であり、エデンの園(斎園殿)を守るケルビム(朱鶏)が、なぜ斑鳩(全身が目)なのでしょう。
それは、目が見ているものは確かなものではなく、見る事ができない目そのものは確か(私は在る)だからです。
皆さま方は、見つけるもの(化もので捉えられる影、八咫烏の足)を実在として、捉えられない本目を虚実となされて、本末転倒であられるのです。
その末の認識(末法)を角力終わらす、1999→666の七の月が終末という事です。
ところで、幼い時に療養していた時、母の実家近くの草津(しょうず)山の天子宮に迷い込んだのですが、その天子宮(球磨弁で天下はアモイ、安凝喪合)の神紋は、本目でした。
同じあさぎり町内には、本目遺跡や才園古墳があり、金鍍鏡で、この世界が映された虚実の世界である事を知らせ、真名合わせの壺で、片仮名(見るものと見られるものに二分(片)された認識)が虚実である事を教えます。
また、明治天皇が、秘密裏に曾祖父にお託しになられた朱鶏は、全身が目の斑鳩でした。
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