日本人は帯を締めてきましたね。 帯は、神の光(米)を独り占め(天上天下唯我独尊、首名、オビトナ)している暗示で、垂れますのは、日が当たっている(神の子の)証拠として影(日足)が延びる、タリシヒコという事です。 ところで、弥勒菩薩は半跏趺坐で描かれますが、やはり、垂れている足が重要です。 12の時計盤では、下に垂れて(下生して)いるT369の状態ですが、これは神伝では下照姫、木花咲耶比売であります。 また、56億7000万という弥勒菩薩の下生の数字は、蕾(気づき)が666→567→468→369と花開く兆候です。 また、弁財天(言葉、音で表現できる世界)でもあります。 要は、帯が垂れている事が、神の子である証になっているというわけです。 また、逆を申しますと、垂れている影があるという事が、その後ろの正面の私の実在と、私に光(米)を当てている神の実在を証しているという事です。
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