300mを超える大津波を想定し、365mの頂上の畑に、楠木に抱かせた小屋と、貯水堀を造っていた実家
- yamato-567
- 2020年6月28日
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韋駄天で金栗四三が走っていたゴォーロの山は、365m程の高さです。
実家の畑は、その頂上近くにあります。
今から13000年程前、この高さと推定される大津波が、日本人の祖先が住んでいた南の島を襲いました。
祖先は、その津波を事前に知り、すでに舟に乗っていて、河内町船津のクブレの海岸まで流れ着いたそうです。
その海岸からすぐそばに、父も祖父も世話役を勤めました、船津厳島神社があります。
神社の手水舎の磐石は、私は在る(中津柱)の舟形水円鏡を示しています。
なぜそうなのかは、大津波でツコケタからです。
人の心が、中津(天津神)から離れ、認識が本末転倒の末を法としますと、ツの膿が溜まります。
それが、地球という水瓶が割れ大津波が起き、戦争の火蓋が切れる原因です。
それで神道では、お祓いをし、仏教では、中津との差取りに挑戦するのかも知れません。
私は在るという本末の認識は、中津(天津神)でもあるのです。
そして、その中津を、航海をするための、北極星と北斗七星の天神に求めました。
山鹿のチプサン古墳の牛王は、天神を祀っていますし、熊本に流刑になった小野篁は、古代の天神を祀った土地に、七国神社(古代の北極星は七つ星、七国星、天津神社)を建てています。
このような歴史が明るみになる時代、私たちは、13000年前と同じ岐路に立っているのかも知れません。

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