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焼失した古代書のエキスでもある口伝

  • yamato-567
  • 2021年6月1日
  • 読了時間: 2分

蘇我氏が滅ぶ時、火災で焼失した書庫とは、日本人の出自、それは世界文明の初めでもありますが、人類にとって重要な太古伝が記された、西氏が管理していた書庫でした。

皆さま方は、少なくとも近畿の、蘇我氏の邸宅の近所というお察しでしょうが、実は、韓半島での出来事です。

皆さま方は、今の国境線で物事をお考えでしょうが、元々の韓半島の先住者は熊襲で、韓国が主張する、韓国人が移民する前の古代の韓半島には人が住んでいなかったという説は、多くの出土品で覆ります。

それで熊襲は、中国だけでなく、世界で興こった滅びた王朝の受け皿となったのです。

なぜ世界が日本を目指したのかは、メソポタミアもエジプトも聖書も、古代の書物には、東海の島山を目指すように記されているからです。

最後の希望として韓半島に来た多くは男性でしたので、受け皿は熊女という事になります。

なぜ坂口が知ったかぶりができるのかは、その韓半島の小国の国々の外交屋敷が、父も祖父も宮総代を勤めた神社の元の建物で、しかも、実家の畑の弓月は、その上陸地だったからです。

そこに熊襲の球磨人の母と結婚した事で、父の代で多くが繋がったのです。

柳田国男の紹介で、米国のロックフェラー財団の御曹司自らの球磨の阿蘇谷の調査などもあり、その裏付けとなっています。

阿蘇谷の西は、一時期は、日本の権力構造に取り込まれる形で、藤原を名乗っていましたが、西に戻し、さらには、伯父の名には祖先の名(太忠、タチヲ)を付けています。

阿蘇谷とは天神アンの阿(安)の蘇りという事ですが、三国志の呉の国のさらに昔の勾呉(姑蘇)の名です。

球磨の古代名が狗奴でありますのは、この影響でもあります。

坂口が小学生の時、百歳間近で球磨弁がきつく、家族も聞き取りにくいか細い声の西から、父を飛び越えて口伝を受けました。

世界人類が危機の時、焼失した古代書のエキスでもある口伝は、必ず役に立つという信念で毎日の投稿をしています。

なぜ役に立つのかは、世界各地から集まった人たちの話なので、世界人類の祖先なわけです。

それは、祖先が子孫が滅ぶ事を望んで伝承するはずがないからです。

あなた様も、その子孫のお一人なので、聞く聞かないはもちろんご自由ですが、坂口のお伽話(口伝)をお聞きになる権利はあります。

それが今ですが、いつまでその責任が果たせるのかわかりません。

写真の二百七十基以上の西家の先祖代々の墓の中の庚申塚は、モーセやイエスが山上で祈る時に眠ってはならないという風習で、それは帝釈天、猿田彦と、世界宗教の枠を超えています。

また、釈迦三尊の象は、実物を見たものが造ったとしか考えられません。



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